人種と民族

「人種」と「民族」は複雑な用語であり、しばしば同じ意味で使われる。これらの用語は当初、生物学的な性質としての「人種」と文化的な現象としての「民族」とを示すために分けられた。この区別は、セックスジェンダーを区別しようとする取り組みとよく似ている。しかし、「セックス」や「ジェンダー」と異なり、「人種」と「民族」の区別の核となる部分については、ほとんど合意が得られていない。

人種の定義
人種は、抑圧、奴隷制、征服を通して歴史的に作り出された強力な社会的カテゴリーである。大多数の遺伝学者が、DNAレベルでの人種分類には意味がないことを認めている。どのような人種グループにおいても、人種グループ内にみられる遺伝学的な相違は、人種グループ間の違いよりも顕著であることが多い。ほとんどの遺伝子マーカーには、医学研究に役立つほどの人種間の違いはない(Duster, 2009;Cosmides, 2003)。

社会的カテゴリーとしての人種
人によって経済的状況、環境毒素への曝露、医療へのアクセスは顕著に異なる。これらの因子は、健康格差を生み出しうる。クリーガー(2000)は、人種差別の結果として生じる格差を「人種に関係した生物学的な発現」と表現している(Bailey et al., 2017; Churchwell et al., 2020も参照)。例えば、米国における死因の上位10項目中8項目について、アフリカ系アメリカ人は他の人種よりも死亡率が高い(Race, Ethnicity, and Genetics Working Group, 2005)。これらの格差は、社会階級にも関連しているが、階級の違いだけでは説明しきれない。
 
科学的人種差別
米国医学研究所は、「歴史的に、人種、民族、年齢、国籍、宗教、性別に関する研究は、時に差別的な行為につながることがあった」と指摘している(Wizemann & Pardue, 2001)。18世紀から19世紀にかけて、「生まれつき備わっている性差」に基づく科学が、女性を科学や知的専門職から排除することを正当化し、女性の市民権を否定するために利用されたのと同じように、「生まれつき備わっている人種差」に基づく科学は、白人以外の人々の継続的な従属を正当化するために利用されてきた(Russett, 1989; Schiebinger, 1993)。19世紀には、白人と黒人の脳の構造の違いを調べて、白人以外の人々は進化が遅れていることを証明しようとする研究が、数多く行われた(Tucker, 1996)。20世紀におけるIQと脳の構造をめぐる議論も、同様の役割を果たした(Gould, 1996)。

地理的祖先の定義
生物学者のMarcus FeldmanとRichard Lewontinは、ヒトの遺伝的差異の0.1%は、祖先が住んでいた地域がどこだったかに起因すると述べている。例えば、鎌状赤血球症は人種ではなく、地理的祖先と関係があると考えるべきである。鎌状赤血球症は、サハラ以南のアフリカ、地中海、インド亜大陸など、マラリアが流行している地域、あるいは流行していた地域で発生した。 したがって、祖先に関する生物地理学的な情報は、医師の診断に役立つ可能性がある(Koenig et al., 2008)。

民族の定義
民族とは、アイルランド人、フィジー人、スー族などのように、アイデンティティーの基礎となる祖先や言語、文化を共有するグループを指す。多くの場合、宗教、信仰、習慣、そして移住や植民地化の記憶に基づいている(Cornell & Hartmann, 2007)。科学的な分析においては、人種と民族を大まかにでも区別することが重要な場合がある。生物人類学者のFatimah Jackson(2003)は、文化的慣習が生物学的差異として誤解された例を示している。ミシシッピ・デルタに住む少数民族は、伝統的な料理にサッサフラス(北米東部産クスノキ科の落葉樹の根皮)を使う。サッサフラスは膵臓癌の罹患率を増大させる。文化的特徴と生物学的特徴を注意深く区別しない医療従事者は、実際は文化的慣習(この場合は食習慣の共有)が原因である膵臓癌の地域的集団発生を、遺伝的または人種的特徴だと解釈してしまうおそれがある。

欧州連合の現行ガイドライン

  • 1. 2000年6月29日の欧州連合理事会指令2000/43/ECは、人種または民族の違いにかかわらず、人と人が平等に扱われるという原則を支持している。これは、欧州人種差別撤廃委員会の支持を受けている。
  • 2.2020年、EUは「反人種主義行動計画2020-2025」を制定した。

米国国立衛生研究所(NIH)の現行の研究ガイドライン
NIHは、すべてのアメリカ人の健康と幸福を担保するために、人種と民族を医学研究の変数として含めることを求めている。NIHは以下を要求している。

これらのガイドラインには、研究者が人種や民族に関するデータを収集する際、被験者の自認に頼らなければならないこと、また回答者には複数の人種を選択することが可能でなければならないことが明記されている。「この分類のカテゴリーは社会政治的な構成要素であり、人類学的なものであると解釈してはならない」ことを、このガイドラインは強調している。

研究における人種・民族分析の問題点

  • 1.NIHのガイドラインでは、患者は複数の「人種」を選択することができ、アメリカ人の約5人に1人は複数の人種に属すことが明らかになっていて、研究において人種を明確に区別することが難しくなっている。
  • 2.民族グループの定義が、人々の同質性は現実以上に高いと暗示してしまうおそれがある。例えば、オランダ政府統計局(CBS)は、移民(allochtonen)を欧米系と非欧米系の2つのカテゴリーに分類している。この非欧米系には、アフリカ、ラテンアメリカ、アジアなど、多様な地域の人々が含まれる(Centrall Bureau vorr de Statistiek, 2011)。
  • 3.欧州の特定の国や米国に関係する民族と人種の亜集団は、世界的には関連しないことがほとんどである。
  • 4.人種を強調することは、健康格差の社会経済的および環境的要因を軽視することにつながる。米国の健康統計では、以下の要素に基づくデータ収集は行っていない。
    • a.教育水準、経済的リソース、制度的差別に起因する健康への影響などの社会経済的要因、もしくは
    • b.住宅の質や有害物質にさらされるなどの環境要因
用語解説は、こちらを参照のこと。American Heart Association, Structural Racism and Health Equity Language Guide (2021).

参考文献

Bailey, Z. D., Krieger, N., Agénor, M., Graves, J., Linos, N., & Bassett, M. T. (2017). Structural Racism and Health Inequities in the USA: Evidence and Interventions. The Lancet, 389(10077), 1453-1463.

Churchwell, K., Elkind, M. S., Benjamin, R. M., Carson, A. P., Chang, E. K., Lawrence, W., ... & American Heart Association. (2020). Call to Action: Structural Racism as a Fundamental Driver of Health Disparities: A Presidential Advisory from the American Heart Association. Circulation, 142(24), e454-e468.

Centraal Bureau voor de Statistiek (CBS). (2011). Allochtoon. http://www.cbs.nl/nl-NL/menu/methoden/toelichtingen/alfabet/a/allochtoon.htm.

Cornell, S., & Hartmann, D. (2007). Ethnicity and Race: Making Identities in a Changing World. Thousand Oaks: Pine Forge Press.

Cosmides, L., Tooby, J., & Kurzban, R. (2003). Perceptions of Race. TRENDS in Cognitive Science, 4 (7), 173-179.

Duster, T. (2009). Debating Reality and Relevance. Science, 324 (5931), 1144-145.

European Commission against Racism and Intolerance (ECRI). (1998). ECRI General Policy Recommendation Number 4 on National Surveys on the Experience and Perception of Discrimination and Racism from the Point of View of Potential Victims. Strasbourg: Council of Europe.

European Parliment. (1995). Directive 95/46/EC of the European Parliament and of the Council of 24 October 1995 on the Protection of Individuals with Regard to the Processing of Personal Data and on the Free Movement of Such Data. Official Journal of the European Communities, L281, 31.

Feldman, M. & Lewontin, R. (2008). Race, Ancestry, and Medicine. In Revisiting Race in a Genomic Age. Ed. B. Koenig, Sandra S., S. Richardson. (Eds.) New Brunswick:  Rutgers University Press, 2008, 89-101.

Gould, S. J. (1996). The Mismeasure of Man. New York: Norton.

Jackson, F. (2003). Ethnogenetic Layering: A Novel Approach to Determining Environmental Health Risks Among Children from Three U.S. Regions. Journal of Children’s Health, 1 (3), 369–386.

Koenig, B., Lee, S., Richardson, S. (Eds.) (2008) Revisiting Race in a Genomic Age. New Brunswick:  Rutgers University Press.

Krieger, N. (2000). Refiguring “Race”: Epidemiology, Racialized Biology, and Biological Expressions of Race Relations. International Journal of Health Services, 1 (30), 211-216.

Pardue, M., & Wizemann, T. (Eds.) (2001). Exploring the Biological Contributions to Human Health: Does Sex Matter? Washington D.C.: National Academy Press.

Race, Ethnicity, and Genetics Working Group. (2005). The Use of Racial, Ethnic, and AncestralCategories in Human Genetics Research. American Journal of Human Genetics, 77, 519-532.

Russett, C.E. (1989). Sexual Science: The Victorian Construction of Womanhood. Cambridge: Harvard University Press.

Schiebinger, L. (2004). Nature’s Body: Gender in the Making of Modern Science. New Brunswick: Rutgers University Press.

Simon, P. (2007). “Ethnic” Statistics and Data Protection in the Council of Europe Countries. Strasbourg: Council of Europe.

Tucker, W. (1996). The Science and Politics of Racial Research. Champaign: University of Illinois Press.

 

 

double logo double logo double logo

このサイトはお茶の水女子大学ジェンダード・イノベーション研究所によって運営されています

 

termssite map